<< みがいてもみがいても | main | 季節の味 >>
斯くして悩みの淵に身を沈める私だ
……まだ人形をみがいている。パート以外の日は制作に全力を尽くしているのだが、まだ塗りに入れない。最後の最後に微細な形の調節に時間を取っている。

いつもいつもこうだ!最後のみがきの仕上げに手間取る。何でこうなるの〜?これは自分の欠点ではなく、妥協を許さない、曖昧な形は残さないという良い面だと考えるようにしているが…。精神的にも追い込まれてしまうのだ。

より精妙な形が見えるようになっているのだ、と信じたい。よりグレードの高い、素晴らしい仕上がりを目指しているのだ、きっと。
みがいていると何が正しい形なのか、いったい正しい形なんてものが存在するのだろうかと悩み始める。自分の左右の目の見え方の差や利き目が気になる。利き手が右だから左側の形が作りづらいと気になる。ひっくりかえして下から見たり、斜め右、斜め左から見て違いを調節する。

どこから見てもつじつまがあう形、可愛く見える形、納得のいく形を0、数ミリの単位で粘土を削ったり、つけたり、永遠に繰り返す。削って足して、削って足して…。

これは生まれ持った性分だ。仕方がない。この苦しい道を通り抜けて仕上がりに向かうしかないのだ。

ただし、注文主を待たせることになる。これには心が痛みながらも…自分で納得できないものは出せない…。堂々巡りだ。そう、この迷いは善光寺の地下の暗闇を手探りで歩いているあんな感じ。

自分すら信じられなくなる。神の不在。神は何処だぁぁぁ〜。


これが生まれて来た使命や目的ならば、通り抜けられる。ここで試されるのは神の実在を信じきれるかどうかだ。宇宙の動きすべてに感謝出来れば浮上する。

全き純粋な闇を通り抜けて…。浮かび上がるタマシイ。

嗚呼、芸術家は斯くあるべきか!?否や?

category:"-" | comments(2) | trackbacks(0)
Comment
「選ばれてあることの恍惚と不安の二つ我に在り」ですね。
どうか、お体をご自愛ください。
| ちば尚 | 2014/03/04 9:50 PM |

しばらく携帯で書き込んでいたので、コメントに気づきませんで失礼いたしました。ガラ携帯からはコメントチェックが出来ないもので・・・・ちばサンも試練を乗り越え中だったのですね。

どうぞ心が癒されますように。
| suzuyo suzuki | 2014/04/02 10:02 PM |










この記事のトラックバックURL
http://blog.suzuyosuzuki.com/trackback/1019060