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映画「ルルドの泉で」観て来ました。





ルルドには巡礼に行った事がないので、映像を観ているうちに、まるで自分も現地にいて、そこに集まる人々を眺めているような気分になりました。

ルルドのような聖地でも、いや聖地だからこそ神への本当の信心が試されるのだろうと思いました。



神の愛は、人間にとって都合がいいように働くものではない。ましてや神は人間の願いを叶えるために動かれるのでもない。神は人間の思う通りには働かない。人間が神に命令して、神が人間に使われているのではないのだ。

神の摂理は公平に働いている。いつでも。誰にでも。神は一人ひとりの人生に介入されて、個別に個人指導をおこなって導いていらっしゃる。すべてが神の愛から発している。

神の愛が人間の世界で働くときに、人間にとって学びになるように、それを経験し、味わう事で成長出来るように、導き働いているのだけれども、それが人間側から見てみると、都合が悪かったり、不合理に見えたり、不公平に感じたりする。それは人間の持つそれぞれのカルマで、神の純粋な愛が見えなくなっているから。

何故、神を求めるのか。自分が思うようにしてもらいたいだけなのか、絶対的な信心を持っているのかが問われる。お陰信心、現世利益を求めるのが信仰ではない。

信仰とは純粋に神との出会いを求め、絶対的な真理に到達するための学びの階悌。

神は我々の欠如した部分を補うために、今世の有り様を創られた。生まれ変わりを繰り返すうちに、前世までに作られた自分の傾向や在り方、自分が作ってきたカルマを果たし、浄化し、成就するために、今回の課題を与えてくださり、レッスンを受けさせてくださっている。

この人生は霊界で、神の元で、指導霊や守護霊たちと話しあって、練り上げてきた今回の課題だから。

そんな事を映画を観た後に考えて歩いた。

でも、自分も身近な人間に奇跡が起こり、神との神秘体験を持つ人が現れたら、きっとうらやましいと感じるだろう。彼もしくは彼女は神様に愛されている、自分より深く愛されている。うらやましいと。

でもでも、そういう自分は誰よりも神様を愛しているだろうか?神と共にいつも歩んでいるだろうか。
そうできているのだろうか。しばし、思い悩む。

ところでこのシアターイメージフォーラムの場所は、渋谷から宮益坂を登ったことろにある。行き帰りの坂で渋谷の谷を実感した。渋谷駅は谷底にある。渋谷駅ビルの3階から地下鉄が出ているのを眺めた。ブラタモリ、観ていて良かった。




 

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舞台はルルドだが宗教色は薄く、意地悪なくらい冷静な目で、人々の心の葛藤を描いている。一見地味だが、かえってこのくらいの方が、ヒューマンドラマとしては面白い。奇蹟が起これば幸せになれるのか? 聖地への旅行気分が味わえて、奇蹟を求める意味について考えさせ
| 作曲♪心をこめて作曲します♪ | 2012/02/08 2:10 AM |