引っ越しを致しました。
JUGEMテーマ:日記・一般
私の故郷である会津若松市に38年ぶりに戻って来ました。
これからは会津で制作をし、発表はこれまでと変わらずに東京中心で行いたいと思っています。

心機一転に伴い、ブログの更新にも力を入れて近況をご報告したいと考えていたのですが、このwindows10がなかなか手強くて、まだまだ使いきれていませんのです。

M・suzukiさんにパソコンのスペック解説をしていただいたので、その条件に合ったものを購入したのですが、windows7ではなくてwindows10になってしまいました〜。10、難解。四苦八苦。

液晶画面は素晴らしくキレイです。

今後、会津からのお便りをお送りします。

取りあえず6月18、19日に浅草で行われるドールフェスティバルに「ドールリミ」の一角で参加致しますので、その制作を進めています。レリーフの制作に初めてモデリングキャストを使用しているのですが、これもなかなか手強い、です。特質を理解していないので苦労しているところです。

 

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美しいよ、磐梯山。素敵だよ、猪苗代。
 冬の山々は雪で稜線がハッキリ見えて本当に美しいね。

美しいよ〜磐梯山。



これが真正面に見渡せるカフェ。猪苗代町三ツ和にあるカフェK。自家焙煎珈琲のお店で珈琲も美味しかったですよ〜。



そこのスッゴク美味しかった、



うにの醤ピザ!それから、



ブラウニーくるみケーキ、レモンカスタードケーキ、アップル&シナモン&ジンジャーケーキ。
ああ〜美味しかったぁ〜レモンカスタードが特に。

お店の裏側には湖水が見えて、これがまた銀板のように輝いてキレイでした。

その猪苗代湖、今年も白鳥が飛来して来ていたよ。




美しい自然だよ。何事もなかったかのように、いつもと変わらないように。





自然が回復するといいね。大切な山々、大切な湖、大切な自然の生き物。人間はもっと広くモノを見て、自然を慈しんで、汚すのをやめないといけないね。自然があって人間が生きていけるんだから。
自然は人間が自由に利用していいものじゃない。自然の心を大切にしなければいけないんだよ。


こんなに私たちを癒してくれるんだから。

・・・とうとう行けたよ!土津神社!につづく。

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あなおそろしや39年の月日
 2日は、何と中学の同窓会に初めて参加しました。

過去にご縁があった方々に何となく会いたくなって。第一中学校の昭和49年度の卒業生だ。
連絡不明の方々も大勢いるらしいね。もし、すずよちゃんを見つけたら連絡してちょ〜。

会場で、幼馴染みの何人かに再会しました。幼稚園に入る前から、毎日のように遊んでいたお友だちです。田んぼやお寺が遊び場でした。年下の小さい子どもたちと群れを成して、町内を走り回りました。缶蹴り、縄跳び、花いちもんめ、ケンケンパ、お墓に飛びつきよじ登り、虫取り、田んぼでお弁当持ち、積み藁に登って滑ったり。

お正月にはゲームをしたな。紙の台紙と駒とサイコロで。人生ゲームを持ってる友だちがうらやましかった。雪が降れば、かまくらや雪ダルマ作りや、雪合戦や、長靴にスキー板をつけて滑った。

町内の中で、ギャーギャー遊んだな。昔の大人はやさしかったな。近所の子供の成長でも、黙って見守ってくれていたんだな、と今頃になって思う。

そんな風に遊ぶ子どもはもう見かけないね。

とにかく、皆様漏れ無く同様にオジサンオバサンになってたからさ、ちょっと驚いたりした。自分を棚に上げてね。なんてさ。

冗談だよ。みんなそれぞれの人生が顔や姿に表れていて、素敵な50代になっていたよ。
風格が身についた人や、母性が身についた人や、芸術が身についた人や、これまでの生き方が身についた人や・・・みんな素敵になっていたよ。

長い時間が過ぎたね。もう走り回れないねぇ。次の日大変だもんね。


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1月1日
 毎年、1月1日は何をしてるんだろうか?と思う。大抵、前日の夜更かしがたたって
居眠り(-.-)Zzz・・・・が出る。

どんな年になるのか…井の頭のT神社の元日祭では、今年はいかなる年になるか御神宣が語られているだろう。

自然と人間の、調和と共生に関することなどだろうか。

行き過ぎた現代の消費文明に対する警鐘だろうか。

目に見えない世界、魂、霊界、神仏に、人々が目覚め、顕界と霊界に進化と調和がもたらされるようにと祈ることだろうか?

福島の会津若松の空を見上げながら、考える。


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12月31日
 深夜、近所の浄土真宗本願寺派専福寺に鐘撞きに行きました。108番中の35番目を撞きました。

この寺の梵鐘の由来には、「保科正之公が会津に封ぜられた時、城下に時を知らせる鐘がありませんでした。そこで専福寺の鐘を借りて使用していたのですが、誤って壊してしまいました。困った寺では、門徒総代相談の上、何とかして欲しいとお城に苦情を申し入れました。月番家老が協議した結果、弁償すべきとして、正之公に申し上げたところ、その儀もっともである、とおっしゃってお手元金より十九両二分をお下げ下さいました。

このようにして現在の梵鐘が造られました。今から三百数十年前のことです。第二次世界大戦の折りに供出されましたが、歴史ある鐘という理由で戻って参りました。現在は県の準文化財指定のため保存が必要ということで普段は使用しておりません。年に一度、除夜にだけ撞いております。」とあります。

ムムム…毎年、この由来書きを貰っていたのだが、よくよく読んでみなかったよ。

このように歴史ある鐘だなんて。子どもの頃、いつもお寺で遊んでいたから、鐘撞き堂によじのぼって遊んだり、鐘を手のひらで叩いたり、撞く真似をしたり、縄にぶら下がったりしていたよ(-_-;)

夕暮れの町にゴ〜〜〜〜ンと鐘の音が響いていたから、母にどこで遊んでいても、鐘がなったら帰ってくるように言われていた。だから鐘が鳴り始めると、じゃあバイバイ!と焦って走って帰った思い出がある。

現在のこの鐘は町の人と共にあったんだ。江戸時代から時を知らせてね。
朝晩ウルサイなんて文句を言う人はいなかったよ。

……しかし、江戸時代、いったいどうやったら誤って壊せるんだぁっ??
(゜o゜)なんて\(-_-)突っ込みはしないことにして。

ウチの母は、実にいい音を鳴らす。遠慮なく思い切り撞く。私は『準文化財指定』『江戸時代』が頭をよぎるから、少々手がビビる。遠慮がちなコ〜〜〜〜ンという音になる。いいんだ、現実世界ではない、霊界に響いているのだと心で言い訳をする。


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もうすぐ冬・・・

11月25日、帰省中に友人と郊外へドライブに行きました。朝から雨降りでした。紅葉がまだ残る中、遠景の山は上半分だけ雪。重たい空です。





山里の色づいた秋が残る木々です。




人々の暮らしが想像できる里山の風景でした。懐かしいような風景。人々の生まれてから、お墓に入るまでの人生が循環しています。季節が循環するように。廻り廻る。




ご先祖から廻り廻って循環してきた生活が、いきなり取り上げられたら、どんなにか切なく苦しく悲しいか、考えてみました。


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大河ドラマに学ぶの巻
 

なぜだか三年前くらいから、猪苗代町にある土津(はにつ)神社に行きたくて、帰るたびに友人に連れて行ってくれとお願いしているのだけど、神社仏閣にはあまり興味の無い友人たちに、今回の帰省でもその提案は却下され、喜多方方面のドライブになりました。残念〜。


さて、2005年の大河ドラマ『義経』に続き、今年の『江』も録画してまで見てしまいました。

何でしょう〜大河ドラマって過去世の自分が生きていた(らしい)時代の事となると真剣に見てしまうんですよね。

恥ずかしながら、歴史に案外弱くて、まったく時代の流れを理解していなかった私は、江の中で最終回に登場した、秀忠の側室の子ども幸松が、保科正之となり、会津藩主になったという事に初めて気づきました。幕末まで続く会津松平家の初代です。

現在の鶴ヶ城の周りにある、長野から贈られた小彼岸桜の由来云々まで読んでいたのに、その正之が養子に行った保科正光の後を継いで、信濃高遠藩3万石の藩主になったこと、つながっていませんでしたねぇ。







これは今年の4月23日に撮影した桜です。













正之は、さらに出羽山形藩主となり、後に会津藩主となったんですね。三代将軍家光と親しかったので、「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、裏切ってはならない」と残し、代々の藩主がこれを守ったが故に、後の戊辰戦争の悲劇に見舞われたんですねェ〜。やっと頭の中で江戸時代の会津の歴史が繋がりましたよ。

その正之が祀られているのが土津(はにつ)神社なのですよ。全然知らずに行きたかったわけです。知らなかったからいけなかったのかもしれません。

この保科正之さんは、熱烈な朱子学の徒であり、ト部神道を学んでいたようですね。

玉川上水を開削し、江戸市民の飲用水の安定供給に貢献したり、明暦の大火後、焼け出された市民を救済し、主要道路の道幅を拡幅したり、上野広小路を設置したり、芝と浅草に新堀を開削、神田川の拡張など、江戸の防火性を向上させたというから、なかなかの人物であるのですね。

ちっとも知らなかったなぁ。会津の歴史、不勉強でした。

リーディングによると『江戸時代初期、北関東で、やや燻っていて、自分を活かしきれたいと感じて生きていました。鬱屈して時にイライラしたり、塞ぎこんでいて自分を憐れに思うようになり、書物を読んだり、人の話を聞いて考え方を改めて自己修練に励んでいました。・・・中略・・・自己教育に励み、自分はこのままではいけないと思い、人生を動かしている法則や社会を動かしている法則に目を留めて、立派な人になろうと心がけるようになりました。そのかいがあって周りからも気づかれ感心されるようになりました。今でも自己修養に励みたいと思うのはそのためです。』

と語られた私の前世のその人は、そのような大河ドラマに描かれた江戸時代初期の時代背景の中で、どこでどのようにして生きていたのだろうか、と想像してしまいました。何をやっていた人物なのかしら?

大河ドラマと言えど、勉強になるものですなぁ。

来年の『平清盛』も見ちゃいますね。


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かたくりの花





故郷の友人Kが写メで送ってくれたカタクリ群生地の様子。 三島町というところですって。友人I と一緒にドライブに行った時の写真なんだって。





友人 Kと友人I は女子高の一年生からの友人だから、もう36年くらいつき合いがある。友人I のほうは筆不精なヤツだが、友人Kとは卒業以来、ずっと文通していて、オソロシイ数の手紙の束が双方にある。書簡集にまとめようか、と冗談を言い合っていたな。

たまに大掃除の時に出てくる手紙を読むと、若かりし頃の甘い悩みが綴られていたりする。読んでいてその若い感性がくすぐったくなる時がある。お互いの意見を言い合うときには、速達で送りあっていたものだ。友人Kは大学からしばらくは大阪に住んでいたから。大阪と東京でやり取りしていた。当時は下宿に個人の電話などなくて、大家さんの呼び出しだったから、主に連絡手段は手紙だった。

いろんな悩みを語り合った。文章を書く練習にもなっていたような気もするよ。自分の思いや考えを短くまとめて人に伝える練習になっていたね。お互いに携帯電話を持つようになってから、手紙を書く機会が無くなった。メールは流れて消えていくから、手紙に書いていたような深い話を送りあう事はなくなったように思う。

手書きの文字と文字の間には、書かなかった思いまでも伝わるような気がしていたね。たまに文字がにじんでいたりして。

そういえば友人Kは小説家志望じゃなかったかな。友人I は「日本に仏教が入って来る前の信仰を研究する」なんて言っていたような・・・・。二人とも忘れているな。

一緒に机を並べて、ケラケラ笑っていたときから、36年も経ったとは。今でも大切な友情であることに変わりはないけどね。それにしても、東京にいる私も、新緑の会津の風を頬に受けたくなるなぁ。




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鶴ヶ城の桜



24日、晴れ。親戚6名+1匹総勢8名と一匹でお花見に。
博物館横の小彼岸桜は満開。
保科正之公ゆかりの長野県高遠町から贈られた小彼岸桜。
エドヒガンとマメザクラの中間種で花は小ぶりで赤みを帯びている
のが特徴なんですって。





鶴ヶ城の周りには一千本以上の桜、桜。






本丸の中では避難者を元気づけ、
風評被害を吹き飛ばすという目的のイベントが
行われていました。

会津若松の市長さんと役場機能を会津に移している
大熊町の町長さんなどがコメントを述べていました。

大勢の方々が一日も早い復興を願って集っていました。
神輿が練り歩き、京都からのチームも参加して
よさこい踊りもにぎやかに行われていました。

桜が満開で良かったね。
空が晴れて良かったね。

ふと見上げた空。こんな風。


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会津の春
 



23日は少しばかり曇り空。
小彼岸桜のピンクがかった色が映える。









房になって風にゆれている。







会津は梅も桜も一緒に咲きそろう。






競うように花開く。






今年は特に愛しい愛しい花々。






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